とあるまさおの討論録(ディベートログ)

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まさおがディベートについて思ったことをつらつらと書いていきます。ご自身の意見等あれば是非コメントしていただきたいです。Twitter→@masaoopen

R4:コンセンサスとは

コンセンサスって何でしょう?

これは簡単に見えて非常に難しい問題に思えます。特にジャッジの練習機会も増えつつある今、僕にとっては深刻です。

 

ディベーター間のコンセはまあ分かりやすいでしょう。

1,コンシードするとexplicitに述べられている(even ifの場合は除く)

2,綺麗にロジックが説明されており相手が反論の機会を無視して放置した場合(もちろんcase by caseではあるが)

 

などなど。

 

対して難しいのは、ディベーターとジャッジ間のコンセンサスです。

ここに大きく関わってくる問題点が2つあると僕は思います。

①,AIV/P(Average Intelligent Voter/Person)としての知識はどこまで介入しうるのか

②,コミュニティとしての傾向

 

どちらの場合も困るのは、みんながよく知っているであろう話をただ投げられた、また説明が薄い場合です。

 

銃が危ないのなんて誰だって知ってます。

トランプが差別的発言をしていたことだって有名です。

ではそれらは一言で片付けられていいものでしょうか?

 

ディベート界に限っても難しいことです。

一昔前(聞いた話によると)でいえば、coal minerと言うだけでbodily autonomyの話はディベーター全般に伝わるでしょう。

多くの人が読んでいるであろう本、見ているであろう動画の話であれば、2言3言の説明でジャッジに理解させるには事足りるでしょう。

日本人ジャッジなら日本で起きた事件は事件名をいうだけて理解してくれるでしょう。

 

ではディベーターとしてどこまで説明する責任があるのか??

ここのさじ加減が難しいと思います。ディベーターによってもジャッジによっても異なるでしょう。

 

ただひとつ言えるのは、コミュニティの傾向による解釈・介入の差はできるだけ無くすべきということでしょう。

A大学とB大学はいつも合同で練習していて、このexampleを使うのが流行っているから、ちょっと話すだけで理解してくれる。

でもC大学ではそれは主流ではないから丁寧に説明しないとジャッジは評価してくれない。

 

このような事態を防ぐためにもinstitutional conflictがあるのかもしれませんが、実際には地域レベルでまとまって練習することも多いため予防策としては厳しいように思えます。

そのため少しでも、九州や関西中部関東の地域差を無くし、できるだけ世界基準の話をしていくことが大事なのではないでしょうか。

 

実際関東で開かれる大会ですと関西から多くのジャッジを提供することは難しく、思考や評価の違いに苦しむ事は多々あるのではないでしょうか。

もちろん逆も然り。

 

どちらかが間違っているということではないと思いますが、その積極的なすり合わせはやはり重要ではないかな、と僕は思います。